怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

20191124 文学フリマ

 文学フリマには行かないことに決めていた。
 一緒に行こうと約束していた友人が体調を崩してしまっていたし、私には行かない理由がいろいろとあった。今月はもう本にお金を使いたくなかったし、土曜に一日じゅう外で遊んで疲れていた。月曜に向けてゆっくり体を休めたほうがいいという予感しかない。今日も遊びまわったら、明日からつらくなるだけ。

 それにそもそも文学フリマが好きじゃなかった。あんまりいい思い出がないというか、ここにはとてもではないけど書けないような、思い出すだに墓に入りたくなる記憶があるし、雰囲気もいやだった。なんというか、あの剥き身の承認欲求が左右から押し寄せてくる感じが苦手だ。売り子がどんよりとした目で文庫本を開いていたり、普段そんな声を出したことがなさそうな人が無理をして客寄せをしていたりするのもいたたまれない。いつもそういうブースの間をゆらゆらさまよっているだけで体調が悪くなり、決まって「死にたい」というおおよそ有声音としてはほとんど発したことのない言葉が口を衝いて出てくる。

 それなのに、けさはめちゃくちゃ早く目が覚めた。
 1時に寝たのに、起きて時計を見たら6時だった。どうしよう、と思った。

 行かない理由とおなじくらい、行きたい理由もたくさんあった。
 興味のある本がいくつかあったし、友人が欲しがっていた本を代わりに手に入れてあげたかった。せっかく関東に引っ越したのにこういうイベントを訪れなかったら何のために働いているのかわからないじゃんか、という気持ちもあった。
 でも一番強かったのは「インターネット上の知人にあいさつをしにいかなければいけない気がする」という謎の強迫観念だったと思う。

 ここで話はもう一度行かない理由に戻る。
 私の家計はいまかなり破綻している。あんまり多くはないお給金の中から、ピアノのレッスン代や本を買う金、あと友人と遊ぶ費用を、主に食費を削って捻出している。服飾費に至っては削るなんてものではなく、仕事に行くためのやつが壊れたときとかしか買ってないし、理容室もしばらく行ってない。髪やまゆげは自分で剃っている。眼鏡なんかも塗装が劣化してかなり終わっているが、全然買い替える予定はなかった。なぜなら私のガワがそういう状態になっていることなんてハナから了解済の友人としか会っていないから。
 しかし今日はそうもいかない。
 インターネットの知人とははじめて会う人のほうが多いはずだった。どんな顔をしているとかどんな声をしているかなんて知らないはずだし、下手すると生物学上の性別すら知らないかもしれない。
 こんな状態で行きたくないな、としみじみ思った。
 衣食を削って文化交際費に極振りしているのは私が信念をもってやっていることだし、後悔なんてするわけがないとはいえ。
 こんな、みすぼらしいというか完全に不潔な身なりで「私が暴力と破滅の運び手です」って言うのはどうかしている。

 それでも、「あいさつをしに行かなければいけない」と思って、家を出た。
 
 なんでそこまで悩んでまであいさつをしに行こうと決めたのか。
 行く途中にも帰る時にもそんなことを考えてはいなかった。とりあえず、ブースを訪れて爆速で帰ろう、とだけ決めていた。結局は知人と会うことになって帰り際に休憩スペースでおしゃべりをしたけど、買う方は会場に着くなりさくさくと買ったのだった(というかやっぱり今日も「死にたい…」という言葉が漏れるくらい調子が崩れたのでさっさと出たかった)。
 ぜんぜん、どうしてそこまでして挨拶を、とは考えなかった。
 それで、日記を書きはじめてから、はたと思い当たったことがある。
   
 生きている感じがしない数ヶ月だった。
 本当に記憶がない。働いているときの記憶しかない。家に帰ってから何かをした記憶がない。ごはんを作って食べたあとはTwitterをして寝てたんだと思う。やる気次第ではゲームもしたかもしれないけど、平日にゲームを起動する元気なんかだいたい残ってない。哲学的ゾンビってもしかしてこういう。生きている人間がゾンビになるなんてまあ。
 ゾンビになってた間、多分Twitterしかしてなかった。
 Twitterをしていると記憶がなくなる。Twitterは外部記憶装置みたいなものだからTwitterをしているときの記憶はのこらない。
 多分ここ半年の記憶がないのはそのせい。

 私の世界はだいたいインターネットで出来ている。
 大学時代の友人も、半分以上は大学のあった地域に残っているし、関東にいる友人もなかなか会えない人のほうが多い。インターネットでしか会話をしていない。文芸サークル経由とか、二次創作とかの経由で知り合った人も、ほとんどインターネットでしか知らない。
 現実は極力目に入れたくない。
 インターネットは目に入れても痛くない。
 私にやさしい。何か言うといいねが貰えてうれしい。
 いいねが貰えるっつったって私のフォロワーはほとんど知り合いだし(全体では700人くらいいるけど大学では人数的規模が大きいサークルにいたから)、実質大学時代までの私の世界ほぼぜんぶがそこにあると言ってもいい気がする。
 Twitterをして何とか生きていたんだと思う。
 Twitterの記憶はTwitterの記憶として、自分の生きている時間とは関係なく残っている。
 Twitterでこんなことを言ったとか。誰かがこんなことを言っていたとか。いいねもらってうれしかったなとか。
 大学時代の友人も、サークル経由のひとも、ゲームつながりのオタクも、何もかもがごちゃごちゃのアカウントで、働く前とは何にも変わらないみたいに呟いて、私はどうにか自分を保っていた。

 今にして思うと、その時期は結構やばかった気がする。
 前回の日記(https://violence-ruin-tech.hatenablog.com/entry/2019/11/22/210331)に書いた小説を書きはじめる直前、私は旅行をした。旅行というか、大学の近くに三日滞在して友人たちとお茶をしたりご飯をしたりしていた。
 そのとき、何がきっかけだったかはもう忘れたけど「人格の連続性が途絶えている」と思った。
 三日間ほとんど人と会い詰めだった。ずっとカフェとかファミレスで話し込んでいた。そんなに長い時間人とおしゃべりをしたのはいつぶりかわからなかった。
 自分らしい話し方や、声が、段々もとに戻っていくような心地だった。
 なつかしい、親しい人たちと会話することで、「わたし」の輪郭が明瞭になるような気がした。
 私はそれをこころよく思いながら震えあがった。
 
 私は、私の言葉や声が失われていたことに気付かないまま、半年間生きていた。
 
 恐かった。関東に戻ってからも、このまま働いてたらどうかしてしまうのではないかと気が気でなかった。
 だから、お金を作って大学のあった地域に戻ろうと画策して(なんて短絡的なんだろうかと思うが)、小説を書いて賞金で引っ越そうとした(こっちに至っては馬鹿にもほどがある)。生活とメンタルが崩壊し、二度とやるまいと思った。   

 そういうあれこれが落ち着いて、いまは毎日ちょっとずつ勉強してちょっとずつお金を貯めつつ転職活動をしようと思えるようになったわけだけど。 
 インターネットの方々には、ゾンビになっていた間にも変わらず私に接してくれたことに感謝というか恩のようなものを感じていて、それで挨拶をしに行きたかったのだと思います。 
 今日お会いできた方には口々に「仕事で精神が破壊されてて大変そうですね」とご心配をいただき大変ありがたかったです。転職するならうちの会社受けてみなはれ(口効きはできないけど)とまで言って下さった方にはどう感謝していいものやらわかりませんでした。

 今日お会いできた方も、そうでない方も、本当にありがとう。
 インターネットにマジ感謝。
 これからも、私のことは嫌いになっても私のTwitterは嫌いにならないでください。