怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

私が試験勉強時間10時間未満で基本情報技術者試験に受かったわけ

 9月はとにかく金が欲しかった。

 金をひっつかんでいまの仕事をやめて、引っ越したかった。手っ取り早く金がもらえたらなんでもよかったが、あいにく副業ができない会社だった。

 そうなると残業か、資格取得か、ということになる。前者は論外なので、必然的に後者しかなくなってしまった。申し込みだけはしていた。ネット申込み〆切ギリギリになって、慌てて申し込んだ。だいたい試験の2ヶ月前。

 申し込んだときは勉強しようと思っていた。テキストは4月に買ってあった(一度も開いていなかったが)。基本情報を取るのだ、まだ今から頑張って勉強をすれば間に合うはずだ──そう思っていた。

 ところで、どこもそんなもんなのかもしれないけれども、私の会社の資格取得奨励(笑)制度とは名ばかりで、基本情報に受かっても月給が2500円上がるだけだった。

 それを、申し込んでから知った。受験料(5600円)は受かっても戻ってこないらしい。ファック。資格取得奨励(笑)の制度のことを調べなかった私が悪い? ファック・オフ。

 月2500円でお前は何をする? 何ができる? 2500円。飲み代にもなりはしない。お前は鳥貴族で7品頼んで満足か? 奨励。一体何を奨励(笑)しているのか。技術書ひとつ買えやしない。お前は何もできない。お前は2500円をふとした時に思い出す。うっかり電車を間違えてしまったとか、ご飯を冷凍し忘れ炊飯器の中でダメにしてしまったとか、そういう時に、あの2500円のことを思い出すだろう。でもそれはお前を強くはしない。2500円。何にも使いようのない、はした金というのもおこがましいこの2500円という額を、お前は噛みしめ続ける。

 

 だから9月は小説を書いた。

 小説を書いて賞に送ると、賞金で50万とか100万とかもらえるらしかった。賞金は副業じゃないからオッケーみたいなことをインターネットで読んだ。インターネットはいつだって正しい。お前に答えを与えてくれるのはインターネットしかない。

 50万。2万字とか書いて運がいいと50万もらえる。

 これっきゃないと思った。月2500円のために数十時間勉強するよりよほどいい気がした。そのときは勉強なんざやってられっかよ、という気持ちでいっぱいだった。

 実際やってられなかった。試験の申込みをしたあたりからいろいろあって仕事にまつわる全てが嫌になっていた。仕事のことを考えようとすると身体が重くなったり、頭が痛くなるようになり、半泣きで駆け込んだお医者さんにピンキーをもらって飲んだりしていた。そんな状態のときに限ってお前の横の上司は業務中にクソでかい声で風俗の話を振ってきたりする。お前は微笑みながら席を立ち、トイレでピンキーを噛みしめる。

 仕事のことを考えたくないのに仕事のための資格を取るなんて、あまつさえその勉強をするなんて、イカれ野郎だ。

 私はイカれていなかった。

 だから小説を書いた。

 めちゃくちゃ書いた。50万(新人賞の正式名称)の〆切まで3週間で、最低枚数は原稿用紙70枚だった。土日はミスドエクセルシオールデニーズをぐるぐる巡って書いた。平日は家に帰ってから書き、通勤電車の中で書き、職場のカフェテリアで書き、職場のトイレに携帯を持ち込んで書いた。

 そして、クソの山ができた。

 職場のトイレで初稿が上がったとき、素直にそう思った。3週間で原稿用紙100枚を仕上げたんだし仕方がないとか、そういう言い訳もむなしくなるようなゴミだった。提出はしたものの、直す時間がほぼ取れず作中時系列がグチャグチャだったりした。

 50万はおろか、一次選考も通らないことは明らかだった。私の小説を唯一ずっと読んでくれている知人は褒めてくれたし、嬉しかったけど、それはそれとしてクソの山がタワー・オブ・シットであることには変わらないということは書いた私が一番よくわかっていた。

 

 そんなこんなで10月になった。

 私の手元にはタワーリング糞フェルノと一切受ける気をなくした基本情報の受験票だけが残った。

 何であんなに頑張っちゃったんだろう……。

 こんなことなら小説なんか書かずに基本情報の勉強をすればよかった……。

 どうして私はこんなに愚かなんだろうと、本当に情けない思いだった。ほぼ貰える可能性はなく、終わってしまった今となっては完全に貰える可能性のなくなった50万なんかより、試験に受かりさえすれば確実にもらえる月2500円の方がいいに決まっていた。どう考えてもその方がよかった。あのクソに費やした3週間があったらもしかしたら基本情報に受かったかもしれないのに、と私は思った。

 しかしそれからも私は勉強をしなかった! 

 なんだかんだで20日弱くらいは基本情報の勉強をする時間があったはず、なのだけれど、その時期に何をしていたか記憶が全くない。全くないが勉強は一切しなかった。本当にただの一秒もしていなかった。なかったことにしていた。存在していないことにしていた。基本情報というもの自体を。

 しかし、3日前になって急に、罪悪感が湧いてきた。試験代を払ったのにもかかわらず、不受検という形でそれを無駄にすることに。会社員になってまで試験を寝ブッチするのか? と私は思った。

 大学時代は、試験を寝ブッチした。試験をサボることにかけて身内で私の右に出るものはそんなにいなかったし、右に出たものはみな大成した。

 私を基準にして左は普通に働いて生きていける人間で、右はやりたいことを突き付けてそれで食っていくだけの力を蓄えることに成功した者たち。私はどちらにもなれなかった。どちらにもなれないまま、半年経ってしまった。

 どちらかになれたらよかったのにと思っていた。

 中吊りになったまま、私の生活はどん詰まりという気持ちだけが膨らんでいた。

 私はこのままどこにもいけない、という気持ちが全てを悪くしていた。でも、そう思うのをやめるのは難しかった。

 とりあえず不受検をやめよう。

 学生時代の悪い習慣とはもうおさらばしよう。

 でも受からないなら家で寝てたいわ。


 というわけで前日に勉強を始めた。

 

https://qiita.com/SolidStateUsagi/items/577d41e17dc160fe5a0f


 ↑の著者である友人に、いい問題集(https://www.amazon.co.jp/dp/429500510X/ref=cm_sw_r_cp_api_i_hzXYCbQQJBW2P)を教えてもらい入試するだけ入手していたので、付属の「出る順200」をやった。午後に用事があったので、行きの電車で一周見て、帰りの電車でもう一周くらいした。帰ってからもう一回見た。

 それで、「基本情報技術者試験 過去問道場」で午前の模擬試験をやった。


 https://www.fe-siken.com/fekakomon.php


 これで落ちたら明日はゆっくり寝ようと思っていたのだが、

 


 「えー」って言っちゃった。

 なんか午前の4択試験だけでも受かったら午前免除の権利が貰えるとか聞いた覚えがあった。(午前免除はIPAが認可した専門学校で有料講座と認定試験を受けないと貰えないということを知ったのは翌日だった)

 友人の励ましもあり、翌日は受けにいくことにした。

 で、

 

 

 受かった。

 午前に高校程度の数学が出たときは死ぬかと思ったけど、あとは気合いで頑張った。ら、受かった。

 

 なんで受かったのか最初よくわからなかった。

 確かに私はIT系の会社で四月から働いている。午後の選択問題で使うプログラミング言語のどれかとSQLを業務で使っている。なんとなく単体テストとかもしている。働いた時間で言えば、累計800時間くらい。

 でも、午後の問題なんて一瞬も見てなかった。アルゴリズムの勉強なんかしたことなんてないし、インターネットの問題は全部空欄で提出した(255が4つあるな〜と思った。)

 それでも受かったのは、私がそう育てられたからだ。わからない問題があっても、わかるまで考えるよう、熱を出すまで考えるよう、訓練されてきたからだ。

 呆然としてしまった。

 


 私には途方もない金が掛かっているのだ、ということをたまに考える。

 

 小中高とずっと公立校だったけれど、親は何かと機会を見て塾に通わせてくれた。

 学研の科学と進研ゼミをずっと取ってくれていた。夏休みになれば夏季講習に通わせてくれた。小6の時に入った個人経営の塾は、中1の範囲の英語を一通り教えてくれるという、いま思うにすごく良心的なところだった(似非英会話なんかよりよっぽどいいでしょ)。

 高校の数Aで赤点を取ったとき、親は有無を言わせず私を公文式に突き出した。公文が終わった後も、自分の部屋が破滅的に汚くて勉強できない私のために遅くまで自習室の開いている塾に入れてくれた。遠くの会場でやる模試を受けたいと言えば受けさせてくれたし、きっと大学に落ちたら予備校通いもさせてくれたと思う。

 習い事も続けさせてくれた。本を買うお金をくれた。お互い本をそう読むほうではなかったのに、図書館にもよく連れて行ってくれた。

 

 もしかして、私のブログを読むような人には、そんなのあたりまえ、と思う人が多いかもしれない。

 でも私はそうじゃないと知っている。

 そうじゃなかった、という人を何人も知っている。

 そうじゃない子供たちを相手に教師をしている友人たちの話をたまに聞く。

 最初はおもしろエピソードみたいに話し始めるのに、段々どうしてあげたらいいのか分からない、という顔になる。

 いまの私からして、そうじゃない。月2500円もらえるもらえないでギャーギャー言ってるのだから。


 教育格差、という固い言葉を使うなら、私の地元は恐ろしいところで、未だに公立進学校は男女別学で、男子高は理:文が4:2なのに対し女子高は2:4で、隣同士の男子高と女子高を比べると男子高の方が進学実績がいい。10年前もそうだったし、変わったという話は聞いていない。段々共学化は進んでいるけれど、まだ共学になっていないところはOBが強固に反対していると聞く。

 そういう所から都市圏の大学に通うことになって、都市圏は公立の進学校が共学だった。今までどんな恐ろしいところにいたものか、笑えることに、私はその時やっと気付いた。

 ただただあの土地で私をそれなりに育てようとしてくれた親に感謝をするほかない、という気持ちになっている。

 許してほしい。私にはあれをどうにかできはしない。私にはもう私が幸せであれと思いながら生きることしかできない。

 

 簡単な試験じゃなかった。

 それは解いていてもわかった。全然簡単じゃなかった。何が書いてあるのか全然わからなかった。

 それでも、諦めずに解いた。どう解いたとか、そういうことは全然言えない。

 理解しようとすること。

 理解するのを諦めないこと。

 これが私の財産だ、と思った。

 2500円とか合否とか、どうでもよかった。そう気付けたことのほうがよほど、いいことなんじゃないか。

 

 でもなんだかんだで月2500円をもらうことになった。

 2500円あると、ブックオフで本が22冊買える。でも最近、1回しか読まなさそうな本は図書館で借りるようにしているから、主にお風呂で読むための本を買っている。

 図書館の本は、お風呂に入れてはいけない。

 無償であるということには無限大の価値があると、私は信じている。