怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

20200408

 転職活動をしてはいるもののこんなご時世全てが嘘のように思われて、このままやってもだめだ、全く信じてもいなければ価値も感じられないことをやろうとしたって続かない、という気持ちにはなるのだけど、かと言って他の選択肢も思い浮かばないので惰性でポチポチ転職サービスで引っかかった所に面談の日程調整とかを入れたりしている。

 このまま今の場所にいてもつぶしのきく技術が身に着かなさそうなのがいやで退職する一方で、未だに「キャリア」とか「スキル」とかいう言葉が全く信じられない。私にとって価値を感じられないという以上に、意味を信じられない。元からそうだった。就職活動をしていた時からそうだったし、働きはじめてからも「現状が嫌だ」という以外の意味でその言葉を使った記憶がない。

 信じられない。こんなご時世では尚更。

 

 HAPAX: ウィルスの独白 LUNDIMATIN https://hapaxxxx.blogspot.com/2020/03/blog-post_30.html?spref=tw

 

 数日前、起き抜けに流れてきたこの記事を読んだときに感じたのはスッと染み入るような納得感で、それから多分……安らぎだった。

 私はもう、自分が嘘だと思うものを信じなくていいのだ、という感覚。赦しと言ってもいいのかもしれない。

 それがきっかけだったのか、最近折に触れて『虐殺器官』(小説のほう)のことを思い出すようになった。あの夢のシークエンスを。かたちを失った死者の行列に交じるという、あの安堵感が、なんとなく似ていたのだと思う。

 

 まあしかし、実際問題まだまだ私は「ここからは出られません」の世界に住むことになるとは思うので、自分が耐えられると思う形でお金を得るための努力をしないわけにもいかない。仕事を辞めたのはそのためなのだし。

 昼間全く仕事がないのをいいことに、インターネットで見れてそれなりに信頼性がある教材……ということでjsprimer.netをずっと読んでいる。読んでたってしゃあないけど書くのは流石に憚られるし暇つぶしの頭の体操にはなるので。