怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

20191215 あたらしい景色

 どうしてプログラマなの、地方公務員とか受ければいいのに、と人から言われることがある。どうせ仕事が嫌いで出世欲とかやる気とかないんだったら、安定している職の方がいいのに、と。

 別に公務員が嫌というわけじゃない。むしろなれるものなら喜んでなったと思う。だけど、就活の時は、就活をすることになったのが遅すぎて受けることすら考えられなかった。一年経った今はもっと状況が悪く、大きめの地方自治体は年齢制限で受験資格がなくなっているし、国家公務員は話を聞く限り仕事をしながら受けられるものではなさそうだった。省庁を何日も回って朝から晩まで面接に行くらしいので。

 今の会社に入った時も、「プログラミング全然向いてなかったら公務員試験とか受けるか〜」とか思っていた記憶がある。プログラマーになろうと思ったことなんて本当に一度もなかった。向いてなかったらさっさとやめて市役所とか受けようと思っていたのだ。 

 

 それから半年以上が経つけれど、私は何の答えも出せていない。生を保つことだけで精神的・肉体的リソースのほとんどが失われてしまって考える余裕がなかったし、プログラミングの勉強も全くできなかった。向いているかどうかの判断をするどころではなかった。パソコンの調子が悪いのにかこつけて何もしない日々が続いていた。

 代わりに、読書をしたり、映画を観たりしていた。電車の中で読む本がなくならないように常に二冊は本を持ち歩いているし、本を選んでいたせいで遅刻をしそうになったことも一度や二度ではない。本を読むためだけに出勤しているような状態。週末は本を読まない代わりに、ゲオ宅配レンタルで借り溜めた映画を3〜4本観ていた。

 それはささやかな抵抗だった。切実なまでに現実逃避が必要だったとか、ストレス発散だとか、そういうのもありはするのだろうが、より正確な表現をするなら抵抗だった。

 会社の人間が誰ひとり知らなさそうな本や映画を読むこと。

 仕事からいちばん離れたことで自分の時間を潰すこと。

 この歳になると、友人と顔を合わせても、キャリアとか、年収とか、そうじゃなきゃ結婚とか、そういう話しか出てこなくなる。学生時代は音楽や小説や映画で時間を共にした友人たちでさえ、そういう傾向はどうしてもある。当たり前だと思う。

 仕事に思考を割かないこと。

 自分を”成長”させないこと。

「生きる理由というのはな、ゆっくりと死んだままでいられるよう準備することなんだ」と父がよく言っていたのを思い出すほかない。そして毎日毎日、子供たちとそれぞれに秘められた利己的な考えを、それから彼らにはお互いに無関係な血が流れていて私にも関係がないということを思い知らされるとき、はたしてどうやらこの仕事が私にただひとつできるゆっくり死ぬ準備らしいと思うときは、かつて私を植え付けた父親のことが憎くなるのだった。(W.Faulkner, As I Lay Dying

 そんなこんなで半年経って、例のバウンティーハンター期間を経て、いや、流石にこれはいかん、という気持ちになった。

 いやいや。いやいやいや。いかんでしょおかしいってこれは。流石にもうちょっと健康な生き方ってもんがあるでしょ世の中には。なんか。いやそのなんかが思いつかなかったからこんなことになっているんだけども。なんかあるでしょ。

 ”なんか”は見つからなかった。私は本質的にはどうしようもない穀潰しだし、会社なんてひとしなみに全て潰れてしまえばいいと常々思っている。弦楽器の弦のメーカーと亀田製菓Apple、あとTwitterYouTubeと𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻さえ残ればあとはどうだっていい。

 でも見つからないなりに何かをしなければ流石に精神衛生上よくない感じなのはわかっていた。よくない祭りだった。それでも"なにか"が見つかるわけではない。

 

 サークルの後輩に「来年アフリカで起業するかもしれません」と言われたのはそんな時期だった。

 すごく急だった。数ヶ月ぶりに会って、入間の航空自衛隊の基地祭でブルーインパルスを一緒に観て、東京のほうに帰る途中だった。

 ドメドメのクソドメ体質な音楽サークルで、一瞬だけ一緒に楽器を弾いたことのある後輩だった。行動力と生命力が私の10000000000倍くらいあって、ワーホリで熊と対峙したりオーディション番組的なやつでセミファイナルとかに残ったりしていた。一緒に楽器弾いてたの信じられないね、とお互い会うたび言っている気がする。

 会社に入ってもそれは変わっていないようだった。自分の持っているツテで案件を持ち込んでやりきったとか、外国の会社にアポイントメントを取ってみたとか、私にはとてもじゃないけど想像できないことをやっていた。就職活動ってマイナビとか企業ホームページから登録するものじゃないの!?みたいなことを思うくらい想像できなかった。

 よくわからないけど、この人は絶対にやるんだろうな、みたいな説得力がいつもある後輩だった。仕事のことも、本当に本気でやっているのが伝わってきて、それがなんというか、ぜんぜん嫌みがなかった。本当に不思議だった。友人の仕事の話を聞いていると相手が誰だろうが仕事がなんだろうが途中でうんざりしてくるのに。

 え、アフリカって、何、と訊ねてみたけれど、私には話が難しすぎて何もわからなかった。

 でも、やるんだろうな、と思った。

 話の流れでお互いの仕事の話になって、私はその日の朝に存在を知ったN予備校のことを話していた。なんとなくこのカリキュラムだったらサービスをどう作るのかみたいなことを学べる気がするし、これで何かポートフォリオみたいなのを作って転職しようかなって思って、みたいなことを言った記憶がある。全然そのときまではそんなことを考えてはいなかった気がする。どうしてそんなことを言ったのかわからない。

 いいじゃないですか、と後輩は言ってくれた。 

 多分それが、勉強をはじめるきっかけだった。

 

 何せ私のことだからいつまで続くかわからん、と思いながらはじめたことだった。試験のための勉強とか練習とか、小さな時からほんとうに嫌いだった。絶対遊びたくなるじゃん、映画とか見られなくなるし……という予感は的中し、このブログをはじめてから家では一本も観ていないと思う。今のところ不思議とストレスは溜まっていないし、体力が続く限りでは休日ずっとやっていても苦ではない。

 なぜか、土日ずっとカリカリ勉強をしていると、サークル活動のことを思い出す。

 努力が嫌いなわりに演奏を引き受けたがるたちで、1シーズンに10人以上ピアノ伴奏を引き受けてみたり、できらあ的なノリで演奏会に全曲乗ったり、そういうことばかりしていた。そしていつも計画的な練習が出来ず多大な迷惑をかけまくった。提示部しか譜読みが……とか、何度言ったことかわからない。毎度毎度楽器なんかやらなければこんな目に遭わなかったのにと思っていた気がする。

 それでも、そういう嵐のような時期が終わってみると、いつも決まって、ああ、あたらしい景色が見えるようになった、と思ったものだった。あたらしい世界、と言ってもいいのかもしれない。耳がよくなった(周囲の音を拾いながら弾けるようになった)とか、そういう言葉では言い表せない。景色とか、世界とか、そういう言葉でしか説明できない広がり。

 プログラミングの勉強やN予備校のテキストをやっている時に感じるのは、そういう、何かあたらしい景色が見られる気がする、という期待で、それを信じていられるうちは続けていける気がする。仕事を見つけることよりも、大事なことかもしれない。