怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

オペラ感想3本立て──ウィーン国立歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』(2014)『ドン・パスクワーレ』(2016)メトロポリタン歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』(1988)

 えー、いくら何だって仕事も探さずオペラを3本見て1日を終えるのはどうかしてるよね、とさしもの私も思うところではありますが、例えばMETのライビュは大人料金3700円なんですよね。まあちょっと気軽には行けないわけでして、それを1日3本も見れば11000円の得をしているとも言える。実質これは労働なのでは?と錯覚するところまで来てしまった。

 というわけで(?)、それぞれの簡単な感想とまとめを。

 

 ◎ウィーン国立歌劇場ナクソス島のアリアドネ』(2014)

 ウィーン国立歌劇場の公式サイトでストリーミング鑑賞。

 超寝起きで観てました。そして観るのもはじめて。このオペラの存在も先週知ったくらい。そのせいかな、あんまりちょっと良さがわかんなくてね。2幕とか、「え??このワーグナーのパロディみたいなのが80分続くわけ???」みたいな気持ちになってしまい、終始首を傾げながらの鑑賞。

 演出に多少疑問があり、2幕の舞台のセッティングは舞台後方に客席があって前方が舞台内舞台的みたいな雰囲気だったわけですが……え? じゃあ何でアリアドネとかツェルビネッタはこっちを向いて演じてるの? 後ろ向いて歌わなくていいの? ポディウム席しかない家なの?

 舞台内舞台の上には壊れたピアノが3台置いてあり、作曲家が時折「客席」の方から現れてツェルビネッタの伴奏をし、最後は二人がキスをするという、まあ作曲家とツェルビネッタが愛し合うって解釈になるのかな。これもMETのを観たあとではちょっと首を傾げてしまうところ。『薔薇の騎士』の次の話、という語られ方もするような作品なのを考えると、「老いた歌姫(つまりは、元帥夫人、ですね)は舞台上で至上の愛を見つけ、その横で若く美しいはずのツェルビネッタは孤独を秘めたまま舞台裏に消えてゆく」というのが肝なのではないの? と思ってしまったり。 

 

 ◎ウィーン国立歌劇場『ドン・パスクワーレ』(2016)

 いやもう、大爆笑。全部よかったね。もう一回同じ配信あるしもう一回観てしまうかもしれない。

 

 ◎メトロポリタン歌劇場ナクソス島のアリアドネ』(1988)

 ほんで、朝ちょっとがっかりしたものだからあんまり期待せずこちらを観たわけですが──まあ感動しました。曲の良さというか、このオペラの良さみたいのがちょっと見えた。リヒャルトお得意の恍惚感溢れるプロローグから「楽劇」の一番いいところのエッセンスだけを集めたような劇中劇の2幕という流れとか、「老い/若さ」「理想(舞台上の世界)/現実」などの対比がアリアドネとツェルビネッタという二人を通して現れる仕組みとか。

 レヴァインレヴァインなのでそういう一つ一つをまあわかりやすくやってくれて、また歌手も一人一人そのロールに応えていた。特にアリアドネ役のジェシー・ノーマンの声の厚さと演技、よかったですね。素直にいい作品だなって思った。

 メトロポリタン歌劇場って、基本ラインとして「作品の良さを素直に伝える」っていうのがあると思う。確かに演出も美術も保守的だと言われるのはちょっと分かるんだけど、初めて観る人にもとりあえず美味しいところを分かるように見せて/聴かせてくれるような良さがあるような気がする。特にレヴァイン指揮の1980年代のシリーズはそういう平明さが美点。

 こっちを最初に観ていたら、ウィーン国立歌劇場ティーレマンの方も感想が変わったのかも。