怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

20200120 高校数学とわたくし

10年前、クソ田舎の高校に通っていたとき、数学の先生が事あるごとに「スタンダード(教科書傍用問題集)をしっかりやったらどんな大学だって受かるゾ」と言っていた。

もちろん大半の生徒はスタンダード(解答集を渡してくれないので巻末略解を頼りに解かされる)なんかやらなかった。少なくとも私はほとんどやった記憶がない。しかも他の何かをやったという記憶もない。教科書レベルのテストで赤点を取って公文式に投獄された話はしたと思う。生徒たちは、何もしないか、使い勝手のいい教材を見つけてやるか。私は前者だった。

そんなんだったというのが半分、なんとなく文学部に行きたかったのが半分、私は文系に行ったから、私の数学はⅡBで止まっている。入っていた部活に理系が多かったのもあって、友人は理系がほとんどだった…文系のクラスメイトには気味悪がられていた記憶がないでもない…本当は自習に使う部屋ではないという事になっていた進路学習室で、友人たちが難しそうな微分とか行列を友人が解いているのを横目に、世界史の教科書を読んだり英語の長文問題をやったりしていた。

最後の1年ちょっとは数学もそれなりにはやったと思う。メジアンという薄くて紫色の入試演習用の問題集を授業で解いた。

先生は相変わらず、メジアンをしっかりやっておけばそれなりになんとかなるゾ、みたいなことを言っていた。

流石にしっかりやった。というか、9月末の本番が終わるまで現役、という音楽サークルにいたから、他のものをする時間がなかった。薄いからなんとか周回できた。何回やってもできない問題を潰していって、最後はやるところがなくなったような記憶がある。本当に薄かったので。

 

それから8年くらい経って、なぜか数学をやり直しそうということになり、青チャート買って一瞬で放棄したよね、とか思いながら黄チャートを買って、土日忙しかったからカバンに入れっぱなしにして、きょうの昼休みに会社でやりはじめた。ⅠAの最初からやってるから、因数分解とか、そういうの。

すんごい懐かしい、というか本当に8年間一度も解いてない、はずなのに、わりとするする解けるのが不思議だった。

シャーペンをカリカリ言わせていると、数学の先生の声が聞こえてくる気がした。

――チャート式なんか、いらないゾ。教科書に書いてあることをきちんと理解すれば、何だって解けるゾ。

アニメ版カービィデデデ大王みたいなしゃべり方をする先生だったのである。いつも笑い顔なのに、すごく意地悪だった。生徒が何か答えると、「ちがうよ?」とか「全然分かっていませんね」とか愉快そうに言い寄越す。私はかなり言われた記憶があるし、たぶんこれは数学が苦手だと思うようになった原因のひとつ。

それでも、数学を嫌いだとは思わなかった気がする。二次に数学があるような大学をわざわざ受けたし、勉強自体は一番やっていた。よくわからない。普通に考えれば文系だったら国数歴をやるものだと思うのに、ずっと数学をしていた。センター試験が終わってみたら、社会より数学の方が点が良かった記憶がある。

 

何はともあれ、先生のことを懐かしく思う日が来るとは思わなかった。

美しい円を描く先生だった。グラフの直行線や円を、フリーハンドで本当に綺麗に描くのが、いつも不思議だった。何回試しても私には綺麗に描けなかった。魔法みたいだと思っていた。

その魔法が、わたしの手にも宿ったのかもしれない。そうでなければ、この数年思い出しもしなかった問題が解けるわけがない。

 

いまのところ、このまま数Ⅲまでやろうと思っている。大学生が入学後2年くらいで触る範囲まで理解する、何も見ずに解けるようになる、が、一応の目標。

当座の所は黄チャートの例題をぱーっとやるだけ、に今のところはなってしまいそうだけど……解く、という観点で言うなら、本当は同じような問題を何度もやって定着させるものだと思う。つまり傍用問題集みたいなのをやった方がいい。

いやさ、チャート式でも買うか、と思って池袋の三省堂書店に行ったら…あったんだよ。スタンダードが。これまだあったんだ、って笑っちゃった。

でもね、先生、いまは私もそう思います。私がやらなかっただけ。考えよう、わかろうという努力を怠っていただけ。