怠惰と快楽の技術

あるいは勤勉の敗北

20200208

朝、透き間のコーヒーを淹れて、レダラッハとデュバイヨルのチョコレートをひと粒ずつ食べる。レダラッハは外国のお土産のチョコのうまいやつで、デュバイヨルはうまいやつだった。

何となくバッハを聴きたい気分だったのでパールマン無伴奏ソナタ/パルティータ集を聴きながら外出し、大学のサークルの先輩と落ち合って黄チャートを解く。先輩は大学の理系学科を卒業してからも数学を趣味で続けている人で、黄チャートをざっと見てこれはやった方がいいとかこの辺は飛ばしてもいい、とか親身に教えてくれた。

場所も先輩のセレクトで、都心のスタバだった。本当は同人コワーキングスペース的なものに行こうと計画していたのだけど、2人で自習をするようなところじゃなさそうだったので取り止めたのだった。いいスタバ知ってるから、と連れていってくれたスタバは本当に都心のスタバなのかと思うような静かさで、勉強をする人や読書をする人がほとんどだった。そういう所なので、マジ茶(マジでお茶をすることを指す)をしに来た人たちのおしゃべりの声が自然に耳に入ってくる。いい服なんて着たってどうせ男はわからないから!と友人に力説する女性(それはそう)、顔を寄せ合ってペアプログラミングをする男子大学生ふたり(うらやましい)、メンターと受験生と思しき二人連れ(がんばって)。などなど。

片方が黄チャートⅠAガリガリ解いててもう片方が群論の教科書持って呻いてる私たちは一体どう見えるのだろう、とか、メンターが受験生に渾身のアドバイスをしている後ろで黄チャートⅠAを解いている私は一体、とか思いつつもそれなりに集中して進め、全体の1/4くらいまで進めた。

 

最近、何かに興味を持つとそれについて教えてくれる知り合いが絶対に1人はいる、ということのありがたさを感じる。感謝の気持ちという意味でも、めったにないことだろう、という意味でも。

逆に、この歳になってもまだ新しいことを、それも全然やりそうになかったことをはじめようとする私もそれはそれで珍奇なのだろうし、恵まれている、と思う。

運がよかった、と思う。